「メキシコとコロンビアの佐野碩―その軌跡を追って」
吉川恵美子
昭和女子大学
  佐野碩(1905-1966)はその半生をメキシコで過ごした。演出家として、また近代的な演技術であるスタニスラフスキー・システムを用いた教育者としてメキシコ演劇の近代化に多大な貢献をした。27年に及ぶ滞在中に佐野の門下をくぐった演劇人は6000人を超えるといわれる。演出家としては28の作品を舞台化した。メキシコ演劇界での佐野の名声を不動のものとしたT.ウィリアムズ作『欲望という名の電車』(1948年)の舞台は、それまで知られていなかったリアリズム演劇の可能性を示し、新生メキシコ演劇の出発点を画する作品となった。
  さらに、佐野は南米コロンビアにも新しい演劇の種を撒いた。わずか3ヶ月の滞在であったが、佐野の元で学んだ若い演劇人の手でコロンビアの演劇は新しい道を拓いていくことになる。
  今回の「メキシコ学勉強会」では、演劇人・佐野がラテンアメリカに遺した足跡を辿ってみたい。それは、私たちの目には決して平坦な道には見えない。しかし、佐野は、少し不自由な脚をものともせずに、前だけを見据え、27年間同じ足取りで歩いていった。

【報告内容】
1.	なぜ佐野碩の足跡を追うのか?
2.	日本 プロレタリア演劇の闘士として活動
3.	日本からの追放 モスクワへ
4.	ソ連  日本の左翼演劇人との連携 先進的な舞台創造に触れる
5.	ソ連からの追放 アメリカへ
6.	アメリカからの追放 メキシコへ
7.	メキシコ 光と影の年月 演劇学校・劇場・劇団
8.	コロンビアへ 
9.	コロンビアからの追放
10.	メキシコの晩年



【資料】
@佐野碩
 日本(1925-1931):昭和初期のプロレタリア演劇運動のリーダー
「社会文芸研究会」(1925) 林房雄 川口浩、中野重治、千田是也
「マルクス主義研究会」(1926) 「プロレタリア芸術連盟」(1927) 「日本プロレタリア芸術連盟」(ナップ)(1928) 「プロレタリア劇場同盟」(プロット)(1929) 
ソ連(1932-1937):日本の左翼演劇人との連携 新進の演劇に触れる
  モスクワ国際革命演劇同盟局員 国際演劇オリンピアード開催準備
  スタニスラフスキー(1863−1938) メイエルホリド(1874-1940 )
メキシコ(1939-1966):俳優教育 演出 
  メキシコ電気労働者組合(Sindicato Mexicano de Electricistas)
  演劇学校・演劇集団
	Teatro de las Artes(1939)、Escuela Dramatica de Mexico(1943)、
	Teatro de la Reforma(1948)、Teatro Coyoacan (1962)
 コロンビア(1955):俳優教育
	Intituto de Artes Escenicas(1955)

Aインタビュー・リファレンス
Luisa Josefina Hernandez(1979.06.22) Wolf Rubinskis(1979.06)  Jose Gelada(1981.01.08)
Santiago Garcia(1986.07.28 Bogota) Fausto Cabrera(1986.08.09  Medellin)

参考資料
石垣綾子 『我が愛 流れと足跡』、新潮社、1982
岡村春彦 「エル グラン アルチスタ コミニスタ クスパトリアード エン メヒコ セキ・サノ」、『思想の科学』、No.93、1978年7月
50 anos de teatro Palacio de Bellas Artes, INBA, 1985
Seki Sano 1905-1966, Instituto Nacional de Bellas Artes, 1996
拙稿 
「佐野碩とテアトロ・デ・ラス・アルテス」、『文学研究科紀要 別冊第九集』、早稲田大学大学院文学研究科、1982年
「マエストロ・セキ・サノの弟子たちに聞く」、『悲劇喜劇』、早川書房、1980年2月
「メキシコ時代の佐野碩」、『学苑』609号、昭和女子大学近代文化研究所、1990年5月
「コロンビアの佐野碩(I)」、『学苑』631号、昭和女子大学近代文化研究所、1992年5月
「コロンビアの佐野碩(II)」、『学苑』642号、昭和女子大学近代文化研究所、1993年5月
「コロンビアの佐野碩(III)」、『学苑』653号、昭和女子大学近代文化研究所、1994年5月

映像資料
Han matado a Tongolele, dir. Roberto Gavaldon, Mexico, 1948
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