第102回ラテンアメリカ探訪                                    2012.10.29.
   ブラジル柔道と日系人                          熊王 乃恵美


嘉納治五郎
 1882年日本伝講道館柔道という名称を使い始める
 学校教育に導入し、海外普及にも精力的に取り組む

・ブラジル柔道に関係のある日系人
 前田光世
  通称コンデ・コマ
  1897年講道館に入門
  1904年富田常次郎の随伴者として講道館からアメリカに派遣される
  1905年富田と分かれ道場開設
   後に他流試合を始め、ヨーロッパ、中南米をまわる
  1914年サントスに入港し、ブラジルを北上
  1922年からベレンにて道場を構え柔道指導をするようになる

 三浦鑿
  ブラジルで初めて柔道指導したとされる人物
  海兵に指導していた

 馬見塚竹蔵
  初めて道場を開設した人物

 大河内辰雄
  1924年ブラジルに移住
  製薬事業で成功を収め、日本人社会の文化、体育、社会福祉事業にも多大に貢献
  1933年全伯柔剣道連盟が設立され柔道部委員長に就任
  1958年講道館有段者会が設立され会長に就任
  同年サンパウロ州柔道連盟を主導者として結成
  また、1939年と1953年に来伯された柔道使節受け入れにも尽力
  ―谷宗兵衛・深谷清節
   当時の講道館系柔道の双璧
   チャンピオンや優れた柔道家を何人も輩出
 小川龍造
  1934年52歳で渡伯
  1936年サンパウロ市へ移住
  1938年小川武道館開設
  正しい姿勢などの基礎を重視する指導法で、
  最盛期にはブラジル中に100を超える支部が存在した
  多くの有名選手や指導者を排出
  独自の段位を発行

 小野安一
  1929年渡伯
  1933年サンパウロ市へ移住
   他流試合をして名を上げ、生計を立てる
  主としてブラジル人に柔道を指導
  そのため、戦時中も柔道指導を続けられた

 内藤克俊
  1924年パリオリンピックレスリング競技銅メダリスト
  1928年渡伯
   アマゾンに始め上陸するも、マラリアにかかりサンパウロ市郊外へ移住
  全伯柔剣道連盟の発起人に名を連ね、柔道指導も行う
  1953年全伯柔道有段者会が発足され、会長に就任
   ブラジル柔道界統一をはかるもうまくいかず、
   講道館有段者会の発足後に、表舞台からは姿を消す

 木原芳雄
  1956年渡伯
   講道館柔道の形を伝え、ブラジル柔道の昇段試験時に形を導入できるようにした

 岡野脩平
  1966年渡伯し、後に事業をおこす
  ブラジル講道館有段者会を再建
  ブラジルの段位制度を講道館の段に統一し、サンパウロ柔道連盟に移管
  強化練習を開始し、練習する者を代表に選出するという制度を確立


 石井千秋
  1964年渡伯
  1969年帰化し、国際大会に出場し始める
  1972年ミュンヘンオリンピックで銅メダルを獲得
   後スポーツとして柔道が全土に知れ渡るようになる


現在
 ・昇級(基準は各道場による)
   白(→灰)
   →青(6級) 7~8歳
   →黄(5級) 9~10歳
   →橙(4級) 11~12歳
   →緑(3級) 12~13歳
   →紫(2級) 14~15歳
   →茶(1級) 14~15歳
 ・昇段(基準はブラジル柔道連盟による)
   初段 16歳~
   2段 初段獲得3年後~
   3段 2段獲得4年後~
   4段 3段獲得5年後~
   5段 4段獲得6年後~

 ・道場
   畳ではなく、タイヤを敷き詰めてその上にビニールシートをかぶせるものが多い

 ・クラブ(スポーツクラブ)の存在
  有力選手にクラブが生活費や居住費の援助を行う

 ・町道場
  家賃や連盟への登録費などがかさむため、それで生計を立てようとすると大変
  少しでもいい選手を育てるとクラブが引き抜いていく

 ・選手育成団体の登場
  「projeto futuro」という名で、州政府から援助を受ける

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